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上宿・亀有歳時記
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■別館 正面
別館正面
■御門前
御門前
■御門前 石碑
御門前 石碑
■鐘楼
鐘楼
■加藤ひな子の碑
加藤ひな子の碑
葛飾の公共施設
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木下川薬師
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■木下川の薬師(浄光寺)
所在地:〒124-0014 東四つ木1丁目5番9号
アクセス:京成押上線「四つ木駅」下車。徒歩10分

宗派:天台宗
正式名称:青竜山薬王院浄光寺
ご本尊:本尊薬師如来(伝教大師作)
創建:平安時代初期嘉祥二年(849)

■木下川の薬師の由来:
江戸時代から名所として知られる「木下川の薬師」は、時をさかのぼることおよそ1200年以上前の延暦三年(784)名僧伝教大師が、関東巡教のため薬師如来の木像を彫っていたところ、霊夢により未完成の像を、たまたま帰国の途中に寄った下野の国大慈院の僧、広智に託しました。
その後日、広智は下総の国葛飾郡の木下川で一人の老翁に会い、この老翁の草庵に像を託していきました。この年嘉祥二年(849)の秋。
この老翁は、将来この地に名僧が現れ、必ずや立派な寺院を建立するであろうという予言めいた言葉を残し、この地を離れていきました。
この予言通り後日当時の浅草観音に立ち寄っていた慈覚大師が夢のお告げによりこの像を知り、探させて、地元住民との協力により、寺院を建立し浄光寺と名付けたとされています。
江戸時代には徳川家の祈願所として栄え、将軍家の庇護によりその地位を保ち、現在に至っています。


■加藤ひな子の碑
加藤ひな子の碑は明治44年6月福沢桃介等が発起人となって、当時の演劇界の門弟らのによって建てられました。

加藤ひな子は明治期に日本の演劇界のためたくさんの功績を残した方です。幼い頃から歌舞演劇界に入り、その人生を演劇発展のために尽くし、晩年は帝国劇場女優養成所(後の帝劇付属技芸学校)の副所長として、女優養成および日本演劇界の改善に尽力しました。
明治42年欧米の演劇視察のための外遊中、立ち寄ったボストンで病に倒れその年の暮れにボストン市の病院にて客死しました。